上の画像に写っている美しい緑地は、もうすぐ見られなくなるかもしれません。樹齢55年以上の堂々とした木々と美しい芝生の緑地です(クルマが乗り入れる前までは)。
ここが暫定的に駐車場として利用されるようになったのは確か12年前の震災直後だったと思いますが、いつの間にか常態化して、ついに正真正銘の駐車場にされてしまうようです。
郡山の街中にある公共施設はどこも駐車スペースが十分とはいえませんが、ここの場合、どうしても駐車場として整備しなければならない切迫した状況にあるのでしょうか?
DX化の進展により行政手続きの多くがオンラインで済む時代がすぐそこまで来ているというのに・・・
総合体育館前広場の駐車場化による樹木撤去に始まり、公文書館建設に伴う美しい植栽の滅失、そして、震災前まではフェンスで囲い、市民が足を踏み入れるのを拒んでまで大事にしてきた市役所北側の緑地が、いま失われようとしています。
これを緑地の破壊と言わずに何と言えるでしょう。
通常、公共施設は建築に利用される部分と建築物のない空間とで構成されていますが、機能面だけを重視すれば建築物のない場所を利用者向けの駐車場にしてしまうのが合理的なことは確かです。
しかし、新たな公園を築造しなくても、公共施設の敷地を公園のように気持ちの良い空間に整備することが可能なのも事実です。
ですから、「これまで市民の目を楽しませてくれていた貴重な緑を奪っておきながら、いったい誰のために開成山公園を整備しているのですか?」と言いたくなる気持ちも少しは理解していただけるのではないでしょうか。
こういう酷い施策に対して市民の中から疑問の声があがらないとしたら、言葉を失ってしまいそうです。
僕が訴えたいのは「美しい都市郡山をつくる」というような一貫した理念を掲げて、それを柱として事業案を評価する仕組みづくりです。
そうすれば、このようなメチャクチャな施策が実施されることもなく、ブレずに郡山市民が誇りを持てるような都市づくりに邁進できるのではないのかと思うのです。
二度と目にすることが出来ない美しい画像をご覧になった皆さんも、失ったものの大きさを感じられたのではないでしょうか。
せめて、まだ完全に失われていないものに対しては、きちんと声にあげていかなければならないと、強く感じています。