こおりやま 緑の街角 Ⅱ

たんぽぽが、郡山の都市整備について考え、妄想するブログ

変貌する街並み 1999年編

郡山駅西口再開発事業


【1999年の主な出来事】
1月   市の人口 332,244人
2月   ユアファクトリー(郡山駅東口) 閉店
4月   消防本部新庁舎 落成
4月   郡山駅西口再開発事業 本格着工
5月   郡山市 電子メールによる教育相談事業開始
6月   福島空港国際線ターミナルビル オープン
6月   福島—上海便、ソウル便 就航
6月   アートパレス 自己破産
8月   郡山リトルリーグ 全国制覇
9月   カインズ富田店 オープン
9月   秋田銀行郡山支店新店舗(改築) 落成
10月 福島民報ホームページ 開設
10月 坪井栄孝氏 世界医師会長に
10月 トステムビバ郡山横塚店 オープン
11月 うすい新店舗(中町第一地区再開発ビル) オープン
11月 八山田土地区画整理事業 完了

日東紡績郡山第一工場跡(21世紀記念公園 麓山の杜)
この年の一番のニュースは、何といって駅西口再開発事業の本格着工と、うすいの新店舗オープンでしょう。
 
駅西口再開発は、再開発ビル建設と西口広場の拡張整備がセットになっていますが、再開発ビルのキーテナントとして「そごう」を決定したというニュースが報道されたのが1983年6月のことでした。
 
結局は、地元商店街の反対に合い、百貨店をキーテナントとする当初の計画を白紙に戻し、現在の形で着工出来るようになるまで16年もの歳月を要したことになります。
 
着工出来ずに過ぎた16年の間にはバブル経済の時代も含まれていますから、計画通り早期に完成していたらどう影響していただろうと妄想せずにはいられません。

中町第一地区再開発事業

郡山西武と丸井郡山店(垂れ幕にご注目あれ)
振り返ってみると2000年ごろから百貨店を取り巻く環境は厳しくなる一方でしたから、郡山そごうが実現しなかったことは郡山にとって吉だったと言っても差し支えないかもしれません。
 
郡山そごうが出来なかったおかげでこうしてビッグアイの展望フロアに通い、眺望を楽しむことが出来るのですから、ぼくにとっては間違いなく吉だったと言えると思います(〇〇と煙は高いところが好きとはよく言ったものです 笑)

秋田銀行郡山支店(旧店舗)
そんな時代に西口再開発事業よりも一足早く完成したのがうすいをキーテナントとする中町第一地区再開発事業です。
 
こちらの事業計画が初めて報道されたのが1987年1月で、1992年秋の完成を目指すとありましたから、実際に完成するまでには7年程度の遅れがあったようです。
 
うすいの新店舗にはヴィトンやティファニーなど有名ブランドが出店し話題になりましたが、ぼくには憧れの八重洲ブックセンター出店の方がとびっきり嬉しい出来事でありました。
 
うすいの方も2000年代に入ってから一度経営破綻を経験していますが、厳しい経営環境が続く現在も、毎年黒字決算を続けています。
 
この年には、大型ホームセンターも2店オープンしました。
翌2000年には、ザ・モール郡山、2001年にはモルティ(西口再開発ビル内)、Ati郡山(郡山西武跡)がオープンしましたから、西友ダイエー、丸井が進出した1975年に匹敵するくらい変化の大きい時期だったと言えるでしょう。