一年後の開館を目指して郡山市歴史情報博物館の建設工事が進められています。
平成31年2月から3月にかけて「(仮称)郡山市歴史情報・公文書館基本構想(案)」に係るパブリックコメント手続が実施され、令和2年2月から3月にかけて実施されたのが「同基本計画(案)」に係るもので、「郡山市公文書管理条例(案)」に係るパブリックコメント手続が令和5年10月に実施されました。
基本構想(案)について3件、基本計画(案)に10件、条例(案)には4件の意見が寄せられています。
数としては多くないかもしれませんが、傾聴に値するご意見ばかりなので、ご興味をお持ちの方は、是非市のサイトで検索してみていただきたいと思います。
僕が一番知りたかった建設場所決定までの経緯ですが、「(仮称)郡山市歴史情報・公文書館基本計画(案)にお寄せいただいたご意見等と郡山市の考え方」というPDFファイルで見つけることが出来ましたので、抜粋してご紹介します。
「(前略)さらに、具体的な場所について、庁内の連絡会議において協議を行うとともに、2019年8月に実施した『(仮称)郡山市歴史情報・公文書館基本計画に係る懇談会』における、『地域の歴史研究者』や『博物館関係者』『建築・まちづくり関係者』等の10名の有識者の皆様、また、2019年11月に開催した、計画策定に向けた『市民ワークショップ』における市民の皆様の ご意見を踏まえながら、検討を重ね、中央図書館西側駐車場を候補地としたものであります。
この候補地は、中央図書館や公会堂など、既存の文化・教育施設との相乗効果が期待され、市民の皆様はもとより、『こおりやま広域連携中枢都市圏』の皆様のアクセスも良好でありますことから、今後もこの方針により整備を進めて参る考えであります。」
基本構想に対してだけでなく基本計画に対しても建設場所には疑問の声の方が多かったのですが、なるほど有識者会議や市民ワークショップというものは役所にとって本当に都合の良い仕組みなのだなと改めて感心しているところです。
僕としては、勿論(広い意味で)麓山地区に建設すること自体は反対ではないのですが、今にして思えば、やはり中央図書館西側駐車場では非常にマズイだろうと思うのです。
なぜなら、結果的に中央図書館を建て替える為の場所を奪ってしまったわけですから、「将来その時が来たらいったいどうするつもりなの?」と市に問い質したい気持ちが沸々と湧いてきてしまいます。
想像してみてください。適当な移転先が見つからなかった場合、今の建物を壊して同じ場所に建て替えるにしても、その間市民が利用できなくなるのは当然ですが、膨大な蔵書を一旦どこかに移して保管しなければならないのですから、その手配だけでも相当大変だろうと思うのです。
まあ、その時はその時で、のちの世で考えてもらえばいいだけのことかもしれませんが、これを持続可能な社会と呼べるのでしょうか?