こおりやま 緑の街角 Ⅱ

たんぽぽが、郡山の都市整備について考え、妄想するブログ

イトーヨーカドー郡山店

イトーヨーカドーの北海道・東北・信越からの完全撤退が報道されました。

郡山店と福島店の閉店については、昨年から何度も地元紙で目にしていましたから特に驚くようなニュースでもありませんが、郡山店についてもう少し詳しく知りたいと思ったのでスクラップブックを捲ってみました。

福島民報の広告(1989年6月掲載)
最近どの社の記事も、郡山店のオープン時期を1989(平成元)年としていて、旧郡山店(中町)に触れているところは皆無なので、旧店舗が閉店する前年(昭和62年)の福島民報記事の一部を紹介したいと思います。
 
「郡山店は(昭和)44年12月、イトーヨーカドー18店目として開店したが、同社が関東圏以外に出店したのは同店が初めてで“地方1号店”として注目された。」
 
とあります。

同店舗の1988年1月閉店については、
 
「(昭和)64年春に開店予定の西部ショッピングセンター内に同店舗を移すための措置で、同社の地方出店第1号店だった郡山店は、18年の歴史でいったん姿を消し、1年後には売り場面積を約2.6倍の7,800平方メートルに拡大して、再開することになる。」
 
日経新聞が書いています(注:ショッピンセンター全体では12,400平方メートル)。

また、1989年の新店舗オープン前に開催された新築落成パーティーには同社の社長ほか約800人が出席して盛大に行われた、と福島民報が記事にしていて、イトーヨーカ堂の意気込みのようなものも感じられます。
 
現在の郡山店は大型立体駐車場が店舗に直結した郡山初の大型ショッピングセンターでしたから、開店初日に5万人の買い物客が殺到したのも頷けます。
ぼくも、他の大型ショッピングセンターができるまではよく利用した記憶があります。

そういう意味では1989年にオープンした現在のイトーヨカドー郡山店は、郡山の郊外に進出した大型店の“第1号店”であり、郡山駅前の中心商業地空洞化の始まりの象徴と言ってよいかもしれません。
 
また、イトーヨーカ堂にとって郡山は、全国展開の始まりと終わりを告げる象徴的な都市と言えるのではないでしょうか。