こおりやま 緑の街角 Ⅱ

たんぽぽが、郡山の都市整備について考え、妄想するブログ

「第1回 旧豊田貯水池利活用懇談会」 について考察してみた

前回(コメント欄で)紹介しました郡山市民を失望させてしまったという旧豊田貯水池利活用方針案について、懇談会の資料を通して考えてみたいと思います。
 
「旧豊田貯水池利活用懇談会」資料は、こちらで見ることが出来ます。

まず、掲載した三つの案のイメージパースをご覧になって、どのような印象を持たれたでしょうか。
 
どれも、これまでの郡山には無かった魅力的で明確なコンセプトをもった意欲的なオープンスペースのプランだと思います。
空の広さを感じながら散策すれば、気持ちの良い時間の流れに身を任せられそうな気がします。
 
そう思うと同時に、正直なところ、一瞬、唖然とされた方も少なくないのではないかと想像します。
例えて言うなら、「ファミレスへ行って食事をしようと思って席についてみたら、サラダのメニューしか置いてなかった」という状況に近いかもしれません。
 
サラダが嫌いな人は稀かもしれませんが・・・
何故サラダしか提供しないのか、気になるはずです。笑

では、懇談会を構成する識者のご意見を「第1回旧豊田貯水池利活用懇談会概要」からいくつか拾っていきたいと思います。
 
歴史・文化についての項目では、
○「安積疏水の石積み等、壊すのは簡単だがもったいない。(後略)」という意見があります。
仰る通り貴重な遺産ですから、保存するという考えはよく理解できます。しかし、丸ごと残す必要はあるのでしょうか?
 
防災についての項目では、
○「これだけの敷地の規模なので、この敷地に降った雨は、この敷地の中で一定期間とどめておくようなグリーンインフラは考えられる」
ともありますが、ただ単に雨水対策というならば、緑地以外にも方法はいくつかあるはずです。
 
他にもいくつも貴重な意見が掲載されています。
どれも御説御尤もと思うものばかりですが、結局のところ、「立派な見識だけれども、何もここ(市街地の真ん中)でなくても良くない?」という考えを完全に払拭するほどの説得力は無いように思われます。

もちろん共感できる考え方もありました。
 
まちづくりについての項目では、
○「超少子高齢化の未来に、コンパクトシティはやっていくべきである」
○「駐車場が欲しいと言う意見もあるが、いずれ交通手段も変わるし、シェアする時代が来ると考えられる。そのために、新しい交通手段のキーステーションとして残しておくべきではないか。(後略)」
 
ぼくには、こういう都市に対する問題意識を持った意見の方が現実的で建設的に聞こえます。
 
第1回懇談会をどのような形で締めたのか記述がありませんが、
○「将来をイメージしてやらないと、現状の社会の課題は20年後の課題にはなっていない。今は所有するという価値観だが、シェアする共有するという課題になっていく。そういうこの先の時代を読んだ郡山を考えてほしい。」
という、最後に掲載されている意見に集約されているのかもしれません。

 

2024年 おめでとうございます

あけましておめでとうございます。
そして、郡山市民の皆さん、100周年おめでとうございます。
 
1924年大正13年)9月1日に郡山町が市制施行しました。
東北地方では、弘前市盛岡市仙台市秋田市山形市米沢市に遅れること35年、(会津若松市から25年、福島町が市制施行してから17年後のことでした。
全国で99番目の市ということになります。

1924年に竣工した公会堂(2014年郡山市発行「郡山の歴史」より)
ウィキペディアの「市制」のページを当たってみて興味を引いたのは、施行された明治22年度に全国で40市が誕生しましたが、意外にも関東では僅か3市(水戸、横浜、東京)だけという事実です。
当然のことですが、当時の日本の国土には、いまの首都一極集中とは全く違う人口分布の風景が広がっていたということです。

公会堂(2013年5月撮影)
最初に市制施行した先頭集団31市の中に、東北地方の6市が名を連ねていますが、135年後の各々の都市の姿はどうかというと、仙台は大都市に成長しましたが、他の5都市は人口30万人以下(2023年12月推計人口)で、ずいぶんと小粒にまとまってしまったという印象を受けます。
戦前と戦後の都市化の時代に、労働力の受け皿になれなかったのが大きな要因と言えるでしょう。
 
そんな中、東北で10番目に市制施行した郡山は、現在では前出の5都市に肩を並べるところまで発展しました(2023年12月の推計人口は東北で2番目です)。

2代目(?)郡山駅舎(2014年郡山市発行「郡山の歴史」より)
よく言われることではありますが、明治時代の安積疏水の開鑿により水と電力を得て、比較的早い時期に工業都市の下地をつくることができたので、大きなアドバンテージになったのでしょう(明治15年に安積疏水が完成し、32年に沼上水力発電所が運転開始しました)。
今日に続く未来を切り開いてくれた先人に、ただただ、感謝するばかりです。
 
もちろん、首都圏に近いという地の利を無視できませんが、交通の結節点と言う点では、いまの磐越西線の起点としての地位を獲得出来たのが大きかったのだろうと思います。
明治30年に着工した岩越鉄道磐越西線)の起点候補として、他に本宮と須賀川の名が挙げられましたが、両町とも町の規模は郡山と同程度でした。
もし異なった判断がなされていたら、いまの郡山とはだいぶ違った都市の姿になっていたものと思われます。

郡山駅(2013年5月撮影)
さて、市制100周年を記念するイベントも多数企画されているようですが、祝祭事とは別に、今後の発展につながるような事業を起こす100年に一度の大きなチャンスと捉えてみてはどうでしょう。
つまり、市制施行を記念して建設された公会堂のように、これから100年後に評価されるような事業も是非検討していただきたいということです。
 
そう言う手前、ぼくにも腹案が無い訳でもありません
郡山市街地の真ん中に12ヘクタールもの広大な空き地があります。先人が残してくれた大きなな遺産です。
こんなお宝に恵まれた都市は、全国にもそうそうないはずですが、郡山市の場合、猫に小判と表現して良いものか少々躊躇われますが、貴重なお宝が、10年もの間、無用の長物と化しています。

郡山駅西口(2013年5月撮影)
そして、この状況を多くの郡山市民が憂いています。
そこで市民の一人として考えたのが、この広大な空き地の利活用案を大々的に全国から募ってはどうかということです。

豊田浄水場跡(2014年10月撮影)
公募の実施方法には幾通りかあるのかもしれませんが、最優秀賞に100万円の賞金を授与たとしても、ここ20年近く郡山市長を悩ませ続けている大きな問題を一つ片付けることができるのですから、高過ぎるとは言えないはずです。
逆に、経済効果が期待できる提案が採用された場合には、お釣りが返ってくるどころの話ではありません。
 
それに加えて、公募を通じて全国の皆さんに郡山市制100周年を大きくアピールすることもできる一石二鳥だか三鳥のグッドアイデアだと思うのですが・・・
 
皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか?

ビッグアイ展望フロアから豊田浄水場跡を望む(2014年5月撮影)
2024年最初の妄想としては、上出来!!
ということにさせてください。笑
 
最後になりましたが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

変貌する街並み 1998年編

 

 

中町第一地区再開発事業


1998年(平成10年)の主な出来事
3月   郡山職安(ハローワーク郡山) 移転
4月   郡山女子高等学校 郡山東高等学校に校名変更
4月   荒井浄水場 給水開始
7月   郡山駅西口駐車場 オープン
8月   岩瀬書店富久山店 オープン
8月   21世紀記念公園 基本計画まとまる
9月   西口再開発 知事が計画認可
12月 福島空港 2500メートル滑走路 供用開始
12月 イオンタウン郡山 オープン
12月 4号国道郡山バイパスうねめ高架橋 暫定供用開始
12月 新幹線自動改札 スタート JR郡山駅に9機設置

郡山消防本部


ぼくが、デジタルカメラを初めて購入したのがこの年でした。
80万画素という低画質なコンパクトカメラ(44,800円)でしたが、価格の方は、画質ほど低くもなかった印象です。笑

郡山駅西口再開発事業


上のような風景写真をサイズを小さくしてホームページに掲載していましたが、結構好評のようでした。
ピクチャーには、テキストでは伝えられない情報量と魅力があるという証でしょうね。

余談ですが、当時、インターネットで見られる郡山に関する情報は本当に少ない時代で、初めて目にした市のWebページなんかはまるで観光パンフレットのような内容でしたから、市民に情報を公開するという段階には至っていなかったと記憶しています。

郡山南拠点区画整理事業


そういう時代から四半世紀が経ち、スマホで簡単に動画まで撮影できて、誰もが常時カメラを持ち歩く時代になりました。

コンパクトカメラやスマホのカメラ性能は、競いながら今でも年々向上していますが、ぼくの中にある「愛着の持てる使いやすい道具をいつか手に入れたい」という思いは、なかなか消えません。
 
天気の良い日は、画面が見づらいこともよくありますから、写真を撮るたびに、気に入った道具を手にしたいという気持ちは、逆に高まるばかりです。

イオンタウン郡山


今回ブログを始めたのをきっかけに、撮影する機会も増えてきそうです。

ファインダー越しに見た世界を、皆さんにも見ていただけるようになる日が近いかもしれません。

同時に腕も磨かなくてはなりませんけれど・・・

美術館通り


最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
 
今回が、2023年最後の更新になると思います。
 
また、ここでお会いすることが出来たら、とてもハッピーです。
 
皆さんも、良いお年を迎えられますように・・・
 

 

郡山のど真ん中にある広大な空き地を歩いてみた

 

今日の郡山は、朝から快晴で、とても気持ちの良い小春日和となりました。
なので、今月初めに一般開放された旧豊田貯水池を見てきました。

佐藤静司作「青い時」という、心和むブロンズ像もありました
ここの面積は、浄水施設があったところを含めると12ヘクタールです。
わかりやすく言い換えると、100メートル四方の正方形が12個分の広さということになります。

この広大な土地にどんな施設がふさわしいか、散歩しながら思いを巡らせてみるのも悪くないと思います。

ウッドチップを敷き詰められた園路を一周すると、ちょっとした運動にもなります。

この貯水池がいつ出来たのか、気になったので調べてみました。

「明治45年(1912)3月末日で、新水道は完成した。…(中略)…。こうして江戸時代から町民の間に不満はあったとしてもなじみ深い皿沼水道、汚染に悩まされた多田野水道はここで終わりを告げることになり、代わって、『鉄管水道』といわれる近代的上水道が町民の前に出現した。」
 
と、郡山市史に記述されています。
ですから、111年の歴史があるということになります。
廃止されてからすでに10年ですが、利用方法がなかなか決まりません。

先人が残してくれた街中にある大いなる遺産ですから、100年後の郡山市民が誇れるようなプランづくりに叡智を結集して欲しいものです。
 
ここの土地利用については、2024年明けに妄想してみたいと思います。

私たち郡山市民が長年お世話になったこの施設跡を、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

現市長は “緑地の破壊者” ?

市役所本庁舎北緑地 2009年6月撮影
上の画像に写っている美しい緑地は、もうすぐ見られなくなるかもしれません。樹齢55年以上の堂々とした木々と美しい芝生の緑地です(クルマが乗り入れる前までは)。
 
ここが暫定的に駐車場として利用されるようになったのは確か12年前の震災直後だったと思いますが、いつの間にか常態化して、ついに正真正銘の駐車場にされてしまうようです。

市役所本庁舎北緑地 2010年11月撮影
郡山の街中にある公共施設はどこも駐車スペースが十分とはいえませんが、ここの場合、どうしても駐車場として整備しなければならない切迫した状況にあるのでしょうか?
DX化の進展により行政手続きの多くがオンラインで済む時代がすぐそこまで来ているというのに・・・

総合体育館前広場 2017年7月撮影
総合体育館前広場の駐車場化による樹木撤去に始まり、公文書館建設に伴う美しい植栽の滅失、そして、震災前まではフェンスで囲い、市民が足を踏み入れるのを拒んでまで大事にしてきた市役所北側の緑地が、いま失われようとしています。
 
これを緑地の破壊と言わずに何と言えるでしょう。

中央図書館駐車場の植栽 2021年5月撮影
 
通常、公共施設は建築に利用される部分と建築物のない空間とで構成されていますが、機能面だけを重視すれば建築物のない場所を利用者向けの駐車場にしてしまうのが合理的なことは確かです。
 
しかし、新たな公園を築造しなくても、公共施設の敷地を公園のように気持ちの良い空間に整備することが可能なのも事実です。
 
ですから、「これまで市民の目を楽しませてくれていた貴重な緑を奪っておきながら、いったい誰のために開成山公園を整備しているのですか?」と言いたくなる気持ちも少しは理解していただけるのではないでしょうか。

中央図書館駐車場の植栽 2010年11月撮影

こういう酷い施策に対して市民の中から疑問の声があがらないとしたら、言葉を失ってしまいそうです。

中央図書館駐車場の植栽 2010年11月撮影
僕が訴えたいのは「美しい都市郡山をつくる」というような一貫した理念を掲げて、それを柱として事業案を評価する仕組みづくりです。
そうすれば、このようなメチャクチャな施策が実施されることもなく、ブレずに郡山市民が誇りを持てるような都市づくりに邁進できるのではないのかと思うのです。

中央図書館駐車場の植栽 2009年8月撮影
二度と目にすることが出来ない美しい画像をご覧になった皆さんも、失ったものの大きさを感じられたのではないでしょうか。

中央図書館駐車場があった場所のいまの様子 2023年12月撮影
せめて、まだ完全に失われていないものに対しては、きちんと声にあげていかなければならないと、強く感じています。

 

郡山ってどんな街?

 

「郡山ってどんな街?」
「郡山の名所はどこですか?」
県外から来られた方にこのように質問されたら皆さんはどうお答えになるでしょうか?

郡山駅2Fから 2009年10月撮影

多くの郡山市民にとって、これはなかなか難しい問いかけかもしれませんね。
旧城下町のように誰もが「これぞ〇〇だ」と言えるような名所旧跡がある訳でもありませんからね。
だとすると、郡山市民はこの手の問いに永遠に悩まされ続けることになりそうですが、解決策はないのでしょうか?

フロンティア通り入り口 2009年11月撮影

簡単に思いつく一つの案は、世界中どこにもないような立派な建造物や公園をつくることですが、勿論そんなものに予算を割けるほど郡山市の財政は豊かではありません。
なので、この問題は長期的な目標を立ててコツコツと取り組むしかなさそうです。

昭和通り沿いにある広場 2009年10月撮影

では、具体的に「何を目標とするか?」ですが、
ぼくは「オープンで美しい都市空間をつくる」ということを提案したいと思います。
名所旧跡のように特定の場所をつくるのではなく(造れるのであればどんどん造っていただきたい)、街中にある公共施設の空間を開かれた美しい場所に整備していこうというものです。
堂々と自慢できるものがなくても、市民の多くが密かに「郡山って美しい街でしょう?」と誇りを持てるようになればよいのです。
郡山の未来を担う若者に「郡山ってなんかいいよね!」と言われるようになったらほぼ目標達成と言ってよいでしょう。

市役所前 2023年11月撮影

ただ、こういうスローガン的なものは市長が変わるたびに新しい看板に差し替えられてしまうのが常なので、市に提案したところで成果はあまり期待できないでしょう。
ですから、これは実現することのない一市民の妄想として取り組むしかないわけです。笑

西口交差点 2009年11月撮影

これから、タイムリーな問題を提起しつつ「身近にある美しい郡山」の再発見にも努めてまいりたいと思います。
皆さんにも妄想におつきあいいただけたら幸いです。